きもちのいい人

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松本に、陶芸家の友達の展示を見に行った。

彼女とは、以前に仕事でインタビューをさせてもらったのがきっかけで知り合った。

彼女のつくる器は、ほっこりとあたたかいのだけれどさらっとしていて、研ぎ澄まされたセンスがしっかりとあって、そのうえ軽くてすごく使いやすい。つくる人と作品はもちろんまったく同じではないけれど、人柄は作品を通してどうしてもにじみ出るものだと思う。作品と同じように、彼女も、あたたかくてさらっとした愛情と、研ぎ澄まされたセンスと、分け隔てない親しみやすさをもった素敵な人だ。

彼女自身と彼女のつくる器、両方のファンになってしまった私は、仕事を辞めてからもほぼ毎年、展示の時期に松本に遊びに行っている。友達に会うのが目的、と言いながら、器を見るとほしくなって、結局たくさん買い込んでしまうのが常だ。

「私が好きなのは、食べることが好きで美味しいものを美味しいって楽しめる人、自分の好きなものがはっきりしている人、それから、何が食べたいとか何をしたいとか、自分で決められる人」と、友達は言っていた。

自分が何が好きかをはっきりとわかっているから、彼女には老若男女をとわず、世界のいろいろなところにたくさんの友人がいる。ただふらりとギャラリーに訪れただけの人でも、気が合えばすぐに仲良くなってしまうのだ。

好きなことを仕事にして、自分がいいと思うものをつくり続けて、子どもも2人育て上げ、好きな人たちと美味しいものと素敵なものを大切にして日々を暮らす。そういう、一見自由で軽やかに見える生き方を続けていくのは決して簡単なことではないし、強い信念が必要だ。

彼女はその「簡単ではない」ところを隠すこともしないけれど、そういう話をしていても、全然苦々しくも重くもならない。ただ、あることはあることとして受け止めて、あとは毎日を楽しむことにエネルギーを使っている。もしかしたら本人はすごく悩んでいるのかもしれないけれど、楽しむことが本当に上手な人だ。

だから、私も彼女と会う時にはいつも楽しいし、たくさんの元気をもらう。

そして、毎回の短い旅から持ち帰ってくる彼女の器もまた、私と家族の日々の暮らしを気持ちのいいものにしてくれる。

気持ちがすさんでいる時でも、彼女の器を食器棚から出す時は、なんとなくとっておきのものを手にとるようなうれしい気持ちになる。仕事が忙しくても、彼女のカップにお茶を入れて飲むと、少しだけゆったりした気分になれる。

彼女も、彼女の器も、そんな風にたくさんの人の暮らしや心を豊かにしているのだろう。

実際に会えるのは年に一度くらいだけれど、私の人生には欠かせない友達だなあとしみじみ思う。

今年も会いに行けて、本当によかった!

『AMY エイミー』

エイミー・ワインハウスのドキュメンタリーを見てきた。

この人はこの人生のために生まれてきたんじゃないかというような、業の深さみたいなものをすごく感じた。

人は基本的に、自分の人生を自分で創り出していく力があると信じている。でも同時に、自分の意志ではどうにもならないような抗えない大きな流れがやってくることもあって、そこが本当に生死の分かれ目くらいの正念場になることもあるように思う。

エイミーは、どこかでその流れから抜け出せなくなってしまったんだなあと思った。

痛々しいほど純粋で、無防備な人だった。歌うことをあきらめていたら、彼女はきっともっと長生きできたかもしれない。でも、彼女がどんなに苦しんで自分を傷つけても歌わずにはいられなかったおかげで、その歌声はたくさんの人に力を与えたし、今でも与え続けている。その、「せずにはいられない」という、本人の命を超えたところにはたらいている大きな意志みたいなものが「業」なのかなあという気がするし、私はそういうものを強く持っている人に、いつもすごく惹かれる。

若くてきれいできらきらしていた彼女がだんだん自分を壊していく様子を見るのはつらかったけれど、大きな画面で彼女の歌を聴くことができたのはとても嬉しかった。

エイミー、歌を遺していってくれてありがとう。

生まれ変わってきたら、また歌ってね。