看板を出すということ

今月のはじめに、ようやくボディーワークの仕事のサイトをオープンした。

「看板を出さないと、必要な人に届かないからね」と、尊敬するセラピストさんに言ってもらって、それまで何となくぐずぐずしていたのを一念発起してつくってみたのだけれど、どこかで、「これまでも施術をしてますって周りの人には言っていたし、サイトをつくったからといって、すぐにいろんな人が見るわけでもなし、そんなに変化はないんじゃないかな」と思っていたところもあった。

そうしたら、まあ、変化がないどころではなく!

サイトができてすぐに素敵なチラシも作ってもらえる運びになり、そのチラシもいろんなところに置いてもらえるることになり、そこから新たに「施術の場所を貸してあげましょう」と言っていただいたり、友達のおうちや以前の職場に定期的に施術に呼んでいただくことになったり、何だかいろいろなことが一気に発展していった。

これが、看板を出すってことなんだなあと思った。

いくら「うちで美味しいコーヒー淹れてるんだよ!」と言われて「飲みたいな」と思っても、外から見て普通の家の門構えだったら、なかなかおいそれとは入りにくい。そこにひとつ、「コーヒー飲めます」と看板を出して、さらにはカフェの名前みたいなものも書いておいたりしたら、敷居はすごく低くなる。コーヒーが飲みたい通りがかりの人にも、見つけてもらえるかもしれない。

だから看板を出すってほんとうに、外に向かって、他者に向かって、自分の持っているものにアクセスしてもらえる扉をひらくということなのだ。

そしてまた、他者だけでなく、自分自身と宇宙に対しての宣言でもある。

「私はこういうことをやっています」と宣言することで、自覚が生まれて、思考も行動もそれに伴ったものになっていく。宇宙も、「あ、そういうことならこういきましょうか」と、それに即した流れをつくってくれる。

世界って割とそんなふうに、親切な仕組みになっているんじゃなかろうか。

そして、看板を出したら一緒に喜んでくれて、応援してくれて、早速いろいろな形で手を差し伸べてくれた友達や周りの人たちには、ほんとうに感謝しかない。こんなに心やさしい、素敵な人たちがいてくれる、なんて豊かな人生だろう! それに改めて気づかせてもらえたことが、とても嬉しい。

まだ実際に新規のお客さんがどんどん増えたとか仕事が拡張していったとかはないのだけれど、すでにこんなに幸せな気持ちなので、サイトをオープンして良かったなあと心から思うのです。

しっかり触れる

横浜で開催された、ローゼンメソッドの練習会に参加してきた。

ローゼンメソッドは、タッチ(触れること)を通してからだの緊張している部分や呼吸が滞っている部分にはたらきかけ、感情を解放する手助けをするというワーク。私は去年の10月に京都で開催されたワークショップで2日間だけ学ぶ機会があった。

久しぶりに体験するローゼンのタッチはとても親密に感じられて、触れる側になった時、最初はちょっとどぎまぎした。

そういえば京都でも、講師のジュディスに「もっとしっかり触れなさい」と指導してもらったなあと思い出した。

触れることでクライアントに自分を感じるためのスペースを与えるという面では、クラニオとローゼンはとても似ていると思う。でも実際の物理的な触れ方は、ローゼンの方がずっと深くて近い。クラニオはたいていは服や布の上からの軽い「5gのタッチ」だけれど(もっと強く触れることもあるけれど)、ローゼンは基本は肌と肌が触れ合うように、ぴったりと手をくっつける。

そのぴったりとした触れ方や、セッション中にクライアントの顔をしっかりと見る、目を合わせる、ということに、しばらく慣れなくて、そのことをジュディスに質問したら、「日本文化では目をじっと見ることは失礼だと思われることもあるし、ハグなどで触れることも少ない。だから、難しく感じるのもわかるわ」と言ってくれた。

確かに日本の文化にはそういう良くいえば奥ゆかしいところがあるし、特に今の時代は、しっかりと誰かの目を見るとか、愛情と共感を持って人に触れる機会が少なくなっているように思う。

大事な人と一緒にいてもスマホに目を落としていたり、かと思えば、満員電車や混みあった都会の街でからだは人と触れ合わざるを得ない状況で、心は閉ざしたりからっぽにしていたり。日常生活の中で、意識を持って見る、触れる、ということがしづらくなっている。

だからこそ、ドキッとしてしまうような、ローゼンのタッチやプラクティショナーの在り方の持つ特別な親密さは、今の社会を生きる人たちには必要なものなのだろうと思う。

ローゼンメソッド、日本で施術している方は少ないけれど、興味を持たれたらぜひ一度受けてみてほしい。

私はまだ勉強を始めたばかりでローゼンメソッドを練習していますとすらおこがましくていえないのだけれど、練習もどきに付き合っていただける方(まずはお友達で!)がいたら、とても嬉しいです。

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チラシができました!

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hirakuのチラシができました!

デザインしてくれたのは、お友達のユカさん。
シャープな頭脳と愛と知恵に溢れた暖かいハートを持った素敵な女性で、いつもたくさんの気づきをもらっています。
デザインのみならず、オシャレでかわいいアクセサリーや、めちゃくちゃ美味しくてヘルシーなお菓子やご飯をさくっとつくってしまう、ほんとうに才能豊かな人です。

チラシにもユニコーンやフクロウや薔薇や、私が大好きなイメージを(好きだってことを言ってないのに!)たくさん使ってくれました。幸先が良さそうで、嬉しいな。

ユカさんのつくったオシャレなものが買えるオシャレなオンラインショップはこちら。
今のところは、ピアスがメインみたいです。

HELMI

アンマのこと

もう先月のことになるけれど、世界中の人をハグしてまわっているインドの聖人アンマに会いに渋谷に行ってきた。

初めてアンマのことを知ったのは8年くらい前、サンフランシスコに住んでいた時に一緒に働いていた友達が誘ってくれて、近郊の街の山の上まではるばる運転して会いに行った(星がとても綺麗だった!)。その時から数えて、会うのは今回で3回目、ハグをしてもらうのは2回目になる。

アンマに会ってとても印象深かったのが、彼女の笑顔が子どもみたいに無邪気でかわいかったことと、彼女の周りにまぶしいくらいに明るい感じが満ちていたことだ。何年も何年も、求めてくる人たちをただ抱きしめる、そういうことを続けていると人は光るんだなあと思った。

去年、ハグをしてもらった時には、耳元で「イトシイムスメ、イトシイムスメ」と囁かれた時に心臓がドゥルドゥルと震え出してびっくりしたのだけれど、今回はおなかのところが同じように震えたので面白かった。喜んでいるのか、何かいらないものを出しているのか、からだも反応しているんだと思う。

今回も、ぎゅっと胸に顔を押しつけられて、その迷いのない力強さに驚いた。

大人になると、こんな風に何の期待も照れもなく純粋に抱きしめてもらうことはあまりない。だからアンマのところには、たくさんの人が来るのだろう。

並んでいる人もたくさんいたし、そろそろ終わりかな、と遠慮して身を引こうとしたのだけれど、アンマは手を緩めずに、もうしばらく抱いてくれていた。それがとても嬉しくて、じんとした。

私が抱きしめている側だったら、相手の遠慮に遠慮して手を離してしまうと思う。それは、相手に嫌がられたくないという下心がどこかにあるからだ。

アンマみたいに、ただおそれずに愛を差し出せるように、誰かを抱きしめ続けることができるように、いつかなれるだろうか、なりたいなあと思った。

来年も行けたらいいな!

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サイトをオープンしました。

6月9日、満月の夜にサイトをオープンしました。

ずっと先延ばしにしてきたのだけれど、こんな風になりたいなあと尊敬しているセラピストさんに「看板を出さないと、必要な人に届かないからね」と言ってもらって、一念発起。何とか形になりました。

ここからどんな出会いがあるのか、楽しみです!

“すべての見えるものは見えないものにさわっている。
すべての聞こえるものは聞こえないものにさわっている。
すべての感じられるものは、感じられないものにさわっている。
おそらく、すべての考えられるものは、考えられないものにさわっているのだろう。”

最初のページに載せているのは、ドイツの詩人ノヴァーリスの言葉ですが、理論物理学者の佐治晴夫さんの本で見つけてとても気に入ったものです。

私たち一人一人は宇宙の一部であり、私たち一人一人の中に宇宙がある。

からだという確かなものにふれる時も、見えないもの、聞こえないもの、感じられないもの、考えられないもののことをいつも忘れずにいたいと思っています。

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