『ちつのトリセツ』

セラピストのお友達が貸してくれて、読んでみたらとても良かったので自分用に買ってしまった。

この本は、ライターの原田さんが看護師・助産師であるたつのさんの話を聞きながら自分で様々な膣や会陰、そして全身のケアの方法を試していく実体験という形で書いてある。それが、とても良かった。

こういう健康についての本やからだのケアについて書いてある本は、何となく押しつけがましかったり、へたをすると、これをやらないとこういう風に具合が悪くなる!というようなおそろしいことが書いてあったりして、何となく読んでいて楽しくないものが多いように思う。

でもこの本では、原田さんがどのケアの方法をどんなふうに試して、それがどういう感じだったのか、どんな変化があったのかが、恥ずかしい気持ちや躊躇い、抵抗感なども含めて、とても正直に丁寧に記されている。膣がドライなので「オイルを直接流しいれたらだめですか?」と聞いているところとか、笑ってしまった。

ケアの方法は、図もついてしっかりわかりやすく解説されているけれど、押しつけがましさはまったくなくて素直に楽しんで読める。「あなたのからだはまるごと大事なんだよ」と、読者にそっと寄り添って伝えてくれている感じがする、とてもやさしい本だ

読んで早速、オイルケア入浴から会陰マッサージまで試してみた。加減を知らずにぐいぐい押してしまったら、お風呂から出た時にはものすごくぽっかぽかで、倦怠感といろいろデトックスされている感もすごくて眩暈までしてきて、しばらく横にならないといけなかった。やりすぎたかも。でも、普段あまり意識を向けられていない筋肉だから、いろいろ溜まっているんだろうなあと思った。

チェンマイではカルサイネイザンという膣に指を入れて内側からからだの調整をするマッサージがあって、私はまだ受けたことがないのだけれど、気に入っている人の気持ちがわかる気がした。ここの部分をしっかりケアすることができたら、かなりの癒しになりそうだもの。

お風呂場が油まみれになるのでなかなか大変だけど、オイルを全身に塗ったり、タオルでなでたり、そういう風にするだけでも自分のからだと仲良くなっている感じがしてすごくいい。耳や頭、顔のオイルマッサージのやり方なんかも書いてあって、手軽に試すことができるし、とても気持ちがいい。

しばらく、オイルまみれの生活になりそうです。

西加奈子さん

この間、ふと思い出した光景がある。

ある街の雑踏の中で不思議な感じの人たちが奇抜なことをしているところで、いつどこでこんな場面を見たんだったかなあと思っていたら、西加奈子さんの小説のワンシーンだった。

好きな作家はたくさんいるけれど、現実と錯覚するくらいまざまざと鮮明な「記憶」を脳裏に刻みこむことができるのは、私にとっては西加奈子さんだけだ。西さんの書く文章は、からだに直接うったえかけてくる。細胞の奥深くまで揺さぶるような力強さ。そして、ものすごくどぎつくてカラフルで美しい。

最近、10年ぶりくらいに(もうそんなに!と自分でショックだった)『さくら』を読み返してみたら、さすがに細かいところは忘れていたけれど、読んでいるうちにいろいろなからだの感覚が蘇ってきて、この人の本は本当に体験なんだなあと思った。

もちろん小説は、どれも想像力の中で体験するものだ。でも、においや質感まではっきり思い出せるような文章はなかなかない。

しばらくぶりに会う長谷川家の人たちは、みんなやっぱり一生懸命で、暑苦しいほどに誰かを愛していて、愚かで必死で、かっこよくて、ああ、あなたたちがいてくれてよかった!と思った。そして、犬のさくらは相変わらず、すごくやさしくて愛らしかった。

小説家とその作品はイコールではないのはわかっているけど、西さんの見る世界はきっとやっぱり、どぎつくてカラフルで美しくて、暑苦しいくらいの愛にあふれているんじゃないだろうか。そこでは、犬や猫や植物や鳥や文房具や、いろんなものがおしゃべりしてるんじゃないだろうか。

そんな風に思いたくなるくらい、想像と現実の世界を混ぜこぜにしてくれる西加奈子さんの作品が、私は本当に好きです。

どれもほんとうに良いけれど、個人的なおすすめは、『さくら』、『漁港の肉子ちゃん』、『サラバ!』と『きりこについて』です。

花のベッドでひるねして

昨日の夜、寝る前によしもとばななさんの『花のベッドでひるねして』をちょっとだけ読もうと思ってひらいたら、そのままとまらなくなって読み終えてしまった。

よしもとばななさんの本は割とどれも、半分こっちの世界で半分どこかあっちの(死の)世界みたいな感じがすごくあって、死んだ人やものの念みたいなものの描写がものすごく生々しくて本能的なこわさを感じさせるところがある。どこかおとぎ話みたいな雰囲気さえあるのに、その辺りはすごくリアリスティックで、そこらへんのホラー小説よりずっとこわいと思う。

この本も、とてもかわいらしい人たちの話なのにそういう要素はすごく強くて、途中のまま寝たらこわい夢を見そうな気がして最後まで読まずにいられなかった。

そしてまた、これもばなな作品ではよく起こるのだけど、読んでいて涙がだーだーとまらなくなる箇所があるのだった。あとで読み返してもグッとくるときもあるし、あとからだと何で泣いたのかよくわからないこともある。どちらにしても、その時必要な文章だから反応してしまうのだと思う。

昨日の夜にだーだーなったところを、ちょっと長いけど書き留めておきたい。

花のベッドで寝ころんでひるねしているように生きるのは楽なことではないけれど、それを選んだからには、周りにいくらそう思われても仕方がない。

わかる人にはわかるし、わからない人にはわからなくていい。人が一生をかけて本気で成そうとしていることなのだから、かんたんにわかられても困るのだ。

しかし自然というものは、ミミズから大海まで、霧から太陽の光まで、草むらから大木まで、ちっともそんなつまらないことを思っていない。

私が自然を見れば、同じ分だけの力で自然も私を見る。

見てくれてありがとう、ほめてくれてありがとう、明日も来てくれよ…そんな感じしか返ってこない。私がだれにも恥じない真心を持っていることも、静かな熱いものを大事にしていることも、だれにも言わないでこつこつといろいろなことをやっていることも、全部お見通しだ。

私が恥じない心を持っているからこそ、それが私の自然を見る目に映る。

自然がにごらないで見えるときには、私もにごっていない。

その瞬間は自然に力を与える。寄せては返す波のように、その力はめぐりめぐって私に返ってくる。

この村の自然は私の力になって、私の力は村の大地に返っていく。

そのことはとなりの山にもふもとの海にも広がって影響を与えていく。

その循環こそが生きていることだと思うのだ。

思い出したのが、ヴィパッサナー瞑想の合宿に参加した時のことだった。

何日もだれとも話さず目も合わせずにひたすら瞑想を続けていたら、自分の中の記憶や思い込みやいろいろなものがどんどん出てきて、流れていって、すごく感覚が研ぎ澄まされていった。

ある日の休み時間に芝生のところにあるテント用の台に寝転がって、アブが花から花に飛びまわって蜜を集める様子をぼーっと見ていたら、私もこの自然の一部なんだなあとしみじみと感じた。同時に、虫や花や木は、ただただ勤勉に自分のやるべき仕事を行っているのに、人間だけが自分を卑下したり人を責めたりすることで勝手に忙しくして怠けているんだなと思った。

堂々と自分で在ること、そして自分のやるべきことをやること。

そうしてはじめて、私たちは自然に顔向けができる。

この小説は、何だかすごく命のいとなみというか、私たちの命の根源のところにふれる文章があふれていた。

あとがきに書かれていたけれど、お父さんが亡くなったすぐ後に意識もほとんどないくらいで書いた一冊らしい。そのタイミングだから書けた作品なのかなという感じがすごくした。

ばななさん、そんな時にも書くことを続けてくれて、ありがとう。