『ブロークバックマウンテン』

Netflixで見つけて、『ブロークバックマウンテン』を久しぶりに見てみた。

原作が好きだと映画はあんまり…ということが多いけど、この映画は、原作と同じくらいかそれ以上に好きかもしれない。元が短編だから、小説の映画化みたいにぎゅうぎゅうにならなかったこともあるだろう。登場人物それぞれの気持ちがとても丁寧に描かれているし、映像もすごく綺麗で、ほんとうに良い映画だと思う。

この映画が公開された時、私はちょうどアメリカで学生をしていた。文学系の専攻だったので、クラスで公開中の映画について語り合う、みたいなことも結構あった。

そこで『ブロークバックマウンテン』が話題になった時、とても頭が切れていつも鋭い発言と素晴らしい感性の文章をクラスで発表するので私がすっかり憧れていたクラスメイトの女の子が言った。

「この作品は、ゲイであることについての作品じゃないわ」

当時『ブロークバックマウンテン』は、「ゲイのカウボーイについての映画」としてすごく話題を呼んでいたので、クラスメイトもあまり彼女の意見にピンときていないようだったし、私もいまいちよくわからなかった。男同士が愛し合って、男同士であることでつらい思いをするのだから、「ゲイであることについての映画」なのではないかなあ、と思っていた。

でも今回、久しぶりに見直してみて、彼女の言っていたことがわかったような気がした。

主人公の2人が男性であることはこの映画の根本だし、そういう意味で「ゲイであること」も確実にテーマに含まれている。でもそれ以上に、この作品は、自分からずっと目をそらし、愛おしさややさしさ、淋しさ、そういう柔らかく傷つきやすい気持ちを表す術を知らずに、大切なものをその手に握りしめるタイミングをいつも逃し続けて生きてきた一人の人間の物語なのだと思う。

常に自分の内側にあふれるものを押し殺して、飲み込んで、からだを強張らせてやり過ごそうとしているイニス。瞳はとても悲しそうなのに、言葉はすんなりと口から出てこない。見ているだけでもどかしくなるような、ヒース・レジャーの素晴らしい演技!

他の俳優陣も上手くて、それぞれのやるせなさがひしひしと伝わってくる。

見た後はすごく切ない気持ちになるのだけれど、美しくもあって、またきっと、忘れた頃に見てしまうんだろうなと思う。

『AMY エイミー』

エイミー・ワインハウスのドキュメンタリーを見てきた。

この人はこの人生のために生まれてきたんじゃないかというような、業の深さみたいなものをすごく感じた。

人は基本的に、自分の人生を自分で創り出していく力があると信じている。でも同時に、自分の意志ではどうにもならないような抗えない大きな流れがやってくることもあって、そこが本当に生死の分かれ目くらいの正念場になることもあるように思う。

エイミーは、どこかでその流れから抜け出せなくなってしまったんだなあと思った。

痛々しいほど純粋で、無防備な人だった。歌うことをあきらめていたら、彼女はきっともっと長生きできたかもしれない。でも、彼女がどんなに苦しんで自分を傷つけても歌わずにはいられなかったおかげで、その歌声はたくさんの人に力を与えたし、今でも与え続けている。その、「せずにはいられない」という、本人の命を超えたところにはたらいている大きな意志みたいなものが「業」なのかなあという気がするし、私はそういうものを強く持っている人に、いつもすごく惹かれる。

若くてきれいできらきらしていた彼女がだんだん自分を壊していく様子を見るのはつらかったけれど、大きな画面で彼女の歌を聴くことができたのはとても嬉しかった。

エイミー、歌を遺していってくれてありがとう。

生まれ変わってきたら、また歌ってね。

『ニーナ・シモン~魂の声』

“What Happened, Miss Simone?”(『ニーナ・シモン~魂の歌』)を見た。

ニーナ・シモンの声と歌には、ほかにはない心を打つ力がある。同じ歌でも彼女が歌うとまったく違ったりする。

私は彼女の個人的な人生のことを全然知らなかったので、映画を見て新しく知ることがたくさんあった。時代に必要とされた人だったんだなとしみじみ思った。

インタビューの中で、一番印象深かったのがこのシーンだった。

「自由って何ですか?」と問われて、ニーナ・シモンは最初、「それは恋みたいなもの。恋に落ちたことのない人には説明してもわからない。それと同じで、自由も自分がそれを経験するまではわからない。でも、経験したらすぐにわかる」と答える。

そして、はっとしたように言う。

「私にとっての自由が何だか教えてあげる。恐れのない状態のことよ」

「人生の半分でもいい、その感覚を持つことができたら…」とつぶやくニーナの表情はすごく切実で、胸をつかれた。

恐れのない状態。なんて、的を射た表現だろう。

私たちの毎日は、本当にいろんな恐れに支配されている。そのほとんどは、こんなことが起こったらどうしよう、あんなふうにするんじゃなかった、あの人にどう思われただろう、とか、小さなどうでもいいようなことだけれど、その恐れの声がふと途切れた時、それがどんなに素晴らしい感覚かに気づく。

たとえば、大きくて圧倒されるような自然の中に身をおいた時。すごくきれいな風景を見た時。気のおけない人と過ごす時間の中で、ふと会話がなくなった時。

何も恐れないで、ただ自分がそこにいる。それが本当に「自由」ということなのだろう。私たちの多くは、そういう瞬間をできるだけ多く重ねようとしながら四苦八苦して生きているのだと思う。

プライベートではたくさんの恐れの中で生きていたニーナがステージに立って歌う時、観客は彼女がそこで感じている自由を分かち合った。

自分は苦しみ続けもがき続けていても、人は人に救いや愛を与えることができる。もちろん、自分がしあわせで、やさしさと愛に満たされていて、その光を周りと分かち合うことができる、それが理想的だけど、ニーナのような人を見ると、私はいつも人間ってすごいなと心から思うのだ。