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対面セッション再開と料金改定のお知らせ

これまでもお休みしていたわけではなかったのですが、実質、休業状態だった対面セッション、6月から小田急相模原で、そろりと再開いたします。

それに伴って、施術料金を大幅に変更しました。
以前よりも受けていただきやすい料金設定にしています。

気候も良くなってきましたね。
小田急相模原まで、良ければぶらりとお出かけください。お部屋を整えて、お待ちしています。

遠隔セッションも引き続き、自由料金で提供していきますので、お出かけが難しい方はこちらもどうぞ。

As the climate slowly changes outside, I’m reopening–though it has never been closed–my session room at Odakyu Sagamihara for in-person sessions. Check out the new pricing on the Sessions page.

I will continue to offer distance sessions by donation, too 🙂

【2月】鎌倉で週末プチリトリートを開催します。

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2月22日(土)23日(日)の週末、鎌倉、長谷にある美味しくてヘルシーな麻を使った料理が食べられるお店麻心のシンジさんと 、チェンマイから日本にお引越しして、鎌倉で気功とヨガを教えているYoga Kuukanのまいかさん、トマーと一緒に、プチリトリートを開催します。

操体法、気功、ソマティックヨガ、クラニオタッチ。
やさしく、無理なく、体を通して自分の内側に深くアプローチする4つのワークを体験して、思いきりゆるもう、という二日間。

クラニオタッチの時間は、自分に、向き合う人にじっくりと「聴いて」感じることを味わっていただけるようなワークにしたいなと思っています。
他のワークともすごく相性が良いと思うので、本当に深いところまで緩まる時間になりそうです。

麻心の美味しいご飯も2食付き!

鎌倉に通える距離の方なら、自宅からも参加可能です。

極楽寺の山の空気の中で体を動かして、ふれて、感じたあとは、長谷の海を眺めながらゆっくりご飯を味わって。一緒に、身も心もよろこぶ週末を過ごしましょう~。

お申し込みはFacebookイベントページか、Yoga Kuukanのご予約用ページからどうぞ。

 

ルンバルンバでのミニセッションday、終了しました

ルンバルンバ入り口

ルンバルンバでのミニセッション、終了しました!

誰か受けてくれるかなー。もし誰もいなかったら、いつも通りコーヒー飲んでまったりして帰ればいいや。
なんて、のんきに思いながら、本までしっかり持っていったのですが、予想外にたくさんの方が受けてくださいました。

本、ほとんど読めなかった!なんと有難い!

クラニオはじめてです、という方も結構多くて、普段、クラニオを知る機会があまりない方にも体験していただきたくて設けた機会でもあるので、嬉しかったです。
タッチの質や、クラニオの空気感を少しだけでも感じていただけていたらいいな。
(もちろん、クラニオをよく知っている方も大歓迎!プラクティショナーによっても全然違うから、いろんな方のセッションを受けるのも楽しいですよね)

さすがはルンバルンバ、感覚が鋭い方が多くて、「エネルギーが流れ込んできた」「こういう色の光が見えた」「こういうビジョンが見えた」とか、いろいろ体験したことを教えてくださっておもしろかったです。

私にも「見えるんですか?」と聞かれる方がちらほらいらっしゃったのですが、私は基本的に見えません。
場所によってや一緒にいる人によって、たまに、なんか見えた?みたいなことはありますが、自分でコントロールできるものではないし、施術の時には特に何かを意識的に見ようとはしていません。

私の場合は体で感じる感覚が強いので、だいたい、受けている方の体(物質、非物質含めて)に起きていることを一緒に感じていることが多いです。

あと、「エネルギーを送っているんですか?」も何度か聞かれたのですが、送ってないです。
たぶん、施術者と受け手がタッチを通してつながることで、何か必要なものがめぐったり、動き始めたりするのではないかと思います。
「こんなにエネルギーをもらって大丈夫ですか?」と心配してくださる方もいましたが、私の精気を送っている…!とかではないので大丈夫です!どしどし受け取ってください!

どんな知覚や動きであれ、受け手の方ご自身が感じることが一番大切で、そこには正解も不正解も良い悪いもありません。
どんなものでも、内から生じてくるものを見つめて味わっていただけたらと思います。

コーヒーとあんぱん

はじめての試み、宇宙料金もとてもおもしろかったです!
物事の流れと結果がものすごく如実に見えるし、自分がどれだけのエネルギーを循環させられるのかもはっきりわかる感じ。

最終的に、だいたい「一日でこれくらいかな」とはじめに設定したくらいの金額をいただけたので、思っていたより私の宇宙度(?)は悪くなかったみたいです。

とてもデジタルでシビアなので、確かに料金決めた方がある意味楽かもしれない!と思いました。
でも、とてもおもしろかったので、もうちょっと続けてみようと思います。

ちなみに、宇宙料金、闇雲に目新しいから決めたわけではなく、今回はじめて、体の感じで大丈夫そうだなと思ったのでやってみようと決めました。
本当はだいぶ前からずーっとやってみたかったのだけど、できる感じがしなかったのです。

免許の実技試験の時なんかもそうだったのだけれど、頭がどんなに心配していても、体がイエスと言っていることはだいたい大丈夫です。
逆に、頭ではがんがん突き進みたくても、体がどうしてもノーということもよくある。
そんな時は、体に従うことにしています。

なので、体がノーになったら、またさくっと料金システムも変えるかもしれません。
今のところは宇宙のままで!

貼り紙

そして、そして、ルンバルンバの林さん、純子さん。

お客さんに「こんなことやってるよ」ってさらっと声をかけてくれたり、「次はこの方ね」と順番を教えてくれたり、入り口に手書きの貼り紙までしてくれたり(イルカがかわいいし!)、決して押しつけがましいところのない、さりげない、でもあたたかく頼もしい鉄壁のサポートをしてくださって、本当に安心して施術に専念することができました。

施術が終わって、夕ご飯に食べた純子さんのキーマカレーが身に沁みた…。
(仕事終わりの時間過ぎてたのに、ご飯作るために残っててくれた純子さん。やさしすぎる!ありがとう…!)

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今回、はじめて宇宙料金が大丈夫だなーと感じられたのも、たぶん、ルンバルンバだったから。
このふたりなら、「なんかよくわからないけど、そうか、じゃあやってみたらいいよ」とそのまま受け入れてくれそうだったし、実際にそんな感じで、宇宙だろうが何だろうが、とりあえず応援するよ!という感じ(でも、ちゃんと私のやっていることを見て言ってくれている感じ)が伝わってきて、ものすごく心強かったです。

こんな素敵な人たちに応援していただいているのだから、迷わずに良い仕事をしなくては、と思います。

林さん、純子さん、ほんとうにありがとうございました!

また、近いうちにルンバルンバでのミニセッションをさせていただけたらと思っているので、今回来られなかった方も、タイミングが合う時にぜひ!
お待ちしています。

桜の花

休憩中に見に行った裏の桜。きれいでした!

おぼえがき

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ものすごく誰かのことを持ち上げて絶賛する人は、たぶんどこかで、自分のこともそんな風に持ち上げてほしいと願っている。

ものすごく過剰に人に感謝する人は、たぶんどこかで、自分も感謝されたいと願っている。

ものすごく人のことを悪く言う人は、たぶんどこかで、自分のこともそうやって悪く言われているだろうとおそれている。

ものすごく人のことを責める人は、たぶんどこかで、いろんなことが自分のせいだと感じている。

誰かを褒めるとか感謝するとか、ちょっと愚痴ってしまうとか、人のせいにしてしまう(しなくてすめばもちろんいいけど)とかのレベルではなく、「ものすごく」と感じるくらいの行動の偏りには、その人が自分や世界をどう見ているかの偏りがはっきり表れる。

自分の中のそれに気づいたら、ちょっとずつでも、手放していく。

誰かのそれに気づいたら、自分はその「ものすごく」につい乗ってしまわないよう、気をつける。何も言わなくてもいいし拒絶する必要もないけれど、そっちに行こうよ、という勢いを感じても、ただ自分の場所に、揺らがずに、力まずに、すっといる。

そのためにはやっぱり、自分の足でしっかりと立っていることがだいじ。

すべては自分、と、書くこと

いろんなところでも書いているけれど、最近、ほんとうにしみじみと実感しているのが、すべては自分だということだ。

自分が自分をどう見ているか、自分が世界をどう見ているか。自分の内にあるものが、世界を創り、自分を創っている。外側に表れているのは結果でしかなくて、私たちにできるのは、その結果を見つめ、何が起こっているのかを知り、自分の内のあり方を調整し続けること。

ただほんとうにそういう仕組みがあるというだけ、今ここにいる自分は自分がそれまでしてきた選択でここにいるというだけで、それがいいのでも悪いのでもない。いま望む場所にいなかったとしても、間違ったわけでもない。すべて自分のせいだとか、そういう話でもない。気づいたら、それまでの選択をしてきた自分を、そうなんだなあと受け入れて、意識と行動を変えるだけ。

いろいろな人が語ってきたことで、まったく目新しくはないのだけれど、これだけずっと多くの人が形を変えて語ってきたということは、それだけ本当に実行するのが難しいということなのだと思う。

外側に見えていることから、何が起こっているんだろう?と、自分の内に問いかける。
それを繰り返していく。

からだの状態も、周りの人との関係も、世界で起きていることも、みんなそう。

そこで得た答えから、調整を続けていくだけ。

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と、そんな話から(?)、ここしばらく、久しぶりに文章を書く仕事をいただいたり、同じ日に初めて施術を受けに来てくださった方が二人とも出版関係の方だったり、全然違うところから「文章は午前中に書くのがいい」という話を教えてもらったり、「何か書いた方がいいよ」と、これまた違う方に言ってもらったりと、書くことへの流れが起こっている(というか、自分の意識が書くことに向かっている)のだなあという感じがする。

書くことは子どもの頃から好きで、好きが高じて大学院で専攻してしまうほどで、卒業する20代後半くらいまでの間にこれでもかというほど書いていたのだけれど、そのあとから何だか枯渇してしまって、まとまって文章を書くということがなかった。

それまでの人生で経験してきたことの量や濃さも、世界をとらえるための自分の器も、書き続けるには全然足りなくなっていたのだと思う。

それから、だんだんとからだの方に興味がシフトしていって、どんどんそちらを追及していったら、また書く方にも意識が戻ってきたような感じ。螺旋を描いているみたい。書くことは頭でやること、ボディーワークはからだのことだから、対極だと最初は思っていたけれど、本当はつながっているのだということがよくわかる。からだとつながるほど、出る言葉にも無理がなくなっていく。頭だけを必死に働かせて書いていた頃よりも、気持ちがいいし、迷いがない。

何をやるにも、結局そうなのだろうなあ。
頭だけじゃなくて、からだも使うのが、一番いい。

と、書くことにまた久しぶりに意識が向いてきたので、忘れないうちにここに書いてみました。SNSに載せるような、交流を目的にしたものとはまた違う感じで、時々書いていこう。

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人体展に行ってきました。

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上野でやっていた人体展を見に行ってきました。
開始前から気になっていたのに、のんびりしていたら気がつけば会期終了ぎりぎり。人生、いつもこんな感じです。何とか間に合ってよかった!

混んでいたので、すべてをじっくりではなく、割とさくさく興味のあるところだけ見て行ったのですが、やっぱり脳と神経系のところが面白くて思わず長居してしまいました。あと、頭蓋骨の縫合部も生で見られたので、まじまじと見てしまった。

ぼーっとしている時の脳の状態が、ひらめいた時の脳の状態と同じだというのが、何だかとても納得。クラニオの施術をしていると、たまに「光が見える」と言われることがあるのですが(私は別に見えない)、それがこの「ぼーっとした状態」に近いのではないかと思いました。

身体の中の臓器やいろいろなシステムをつなぐメッセージ物質のことも、これ、クラニオ解剖学でヌリアが言ってたわ!などと思いながら、ワクワクして見ました。

 

人体展では人間の臓器の展示もあって、見たい人だけ見られるように衝立の陰に隠してあるのですが、他の動物の臓器は普通に大っぴらに展示されていて、心の準備のないままばっちり見てしまって、ぎょっとしました。人間でも動物でも臓器は臓器だから衝撃が同じな気がする…!イルカとか大きめの哺乳類だと特に、親近感が。キリンの胃袋(だったかな?)が大きくてびっくりしました。

人間の臓器もしっかり見たのだけれど、ひとつひとつでホルマリン漬けにされていると、まさに物質!という感じで不思議でした。つながって、生命が宿ることではじめて生き物になるんだなあと改めて思いました。

頭蓋骨の縫合部は、本物を見られることはあんまりないので、まじまじと見ておきました。

こんなにからだの仕組みにワクワクできるようになるとは、ボディーワークを始めるまではお思っていませんでした。何気なく毎日使っているこの細胞の塊が動いている、神秘!

楽しすぎて、帰りに脳の本を何冊か買ってしまった。

何かを学ぶ過程では、体感することと知識を得ることがあると思うのですが、体感と知識が本当にすとんと腑に落ちた時というのはまた特別に気持ちがいいものだなあと思います。

私はクラニオに関しては体感の方が先に来ているので、今年は脳やからだの知識をもっとしっかり勉強しようと思っています。今さらながら!

人こそ宝

気がつけば、もう大晦日。
毎年毎年思うことだけれど、一年があっという間です。

前回の冬も、タイでローズマリーのクラニオの講座を受講していました。

ローズマリーを日本に招待する話、最初は、いつか呼べたらいいな~、という夢物語のような話だったのが何だかだんだんと妙に現実的になってきて、ある日、「もし日本に来るなら、ああでこうで…」と思いつきで話していた私に、ローズマリーがひと言、

「Are you serious about it?(本気なの?)」

え、まだ場所も何も、具体的なことは何ひとつ目途が立っていないけど…!と、頭は一瞬途方に暮れながら、口が反射的に”Yes!”と答えたのが、今年の1月のこと。

それからずっと、「何をほんとうに求めているの?」「それを実現するにはどうしたらいい?」と、常に問いかけられてきた一年間だった気がします。

迷ったりひいひい言いながら手探りで進んできて、やろうと思っていてできなかったこともたくさんあったけれど、クラニオ講座も何とか形になりそうだし、仕事もいろいろなひろがりを見せてきて、何だかんだで、一年前には考えていなかった場所にいるなあと思います。

そして、一年を一緒に過ごしてくれた人たちへの感謝は毎年尽きないのだけれど、今年は特に、人の有難さをすごく実感した年でした。

施術の仕事を本格的に始める時に、サイトやチラシの制作に力を貸してくれた友人たち。場所を快く提供してくれた恩人の方たち。施術を受けに来てくれたり、口コミで広めてくれた友人たち。時には家に呼んでもらってご飯をご馳走になって、施術しに行ったこっちが元気をもらったり。そして、大切な学びを惜しみなくシェアしてくれた、導いてくれた、尊敬する恩師たち(こちらが勝手に思っている方も含めて!)。

以前に働いていた会社、村式に毎月呼んでいただけることになったのも、私にとっては夢がひとつ叶った、本当に嬉しいことでした。

リフレクソロジーを初めて教える機会も、いただきました。

クラニオ講座の準備も同じように、本当にたくさんの人たちに手伝っていただいています。お金の計算が苦手な私のために予算の表を作成してくれた会計士の友人。素敵なチラシを作ってくれたデザイナーの友人。美味しいごはんを提供してくれるお店の皆さん。いろいろな形で周りに宣伝してくれたり、参加するよと言ってくれたり、マッサージベッドや必要なものを提供してくれる友人、知人たち。

仕事だけでなく、プライベートでも(最近は有り難いことに、公私の境がなくなってきているのだけど)、美味しいものを食べたり、美しいものを見たり、ぶつかったり、ぎくしゃくしたり、いろいろな話をしたり、ふざけ合ったり、たくさんの人たちがたくさんの時間を一緒に過ごしてくれました。その中で少しずつ自分がひらいて大きくなって、歩く道のりも定まってきた気がしています。

私がどんなにぐらぐらしていても思い悩んでいても、いつも変わらずに一緒に笑ってくれた大切な人たちには、どんなに救われたかわかりません。

感謝したい人が数えきれないほどで、アカデミー賞授賞式のスピーチみたいになってます。

でも本当に、人との出会い、つながりがなかったら、いま絶対にここにはいなかっただろうと断言できる一年でした。私の世界は、こんなにやさしさと愛に満ちていたんだなあと、しみじみとあたたかい気持ちになっています。

私は私のやるべきことをやっていくことで、少しでも、それを循環させていけたらと思います。

一年の終わりにと、大好きで尊敬するセラピストさんが送ってくれた曲。

一年を、どんな単位で測ろうか?
愛で測るのは、どうだろう?

愛を単位にして測ったら、私の2017年は結構いい線いっているのではないかしら。

ちなみにこの記事のタイトルは、高校のブラスバンドの恩師に座右の銘を聞いたら書いてくれた一言です。「人こそ宝」、ほんとうにそのとおり!

この一年、出会ってくれた皆さま、一緒に過ごしてくれた皆さま
心から、ありがとうございました!

ただ、ともにある

人間関係においてもクラニオを施術する時のようでいればいいんだなあと、今日、珍しく空いていた江ノ島を歩きながら、ふと思いました。

何をどうしようとか変えようとか意図することはなく、ただ目の前の人、その本質の力を信じて「聴く」。ひたすらその人とともにあり、起こっていること(もしくは何も起こらないこと)を観察する。

施術の時にはできる(というか、そこからずれていたら気づくようにするを心がけられている)けれど、日常生活になると、すっかり忘れてしまうことがしばしば。

「期待を持たないようにしなさい」
「自分の中の先入観や思い込み、条件付けに気づきなさい」
「まずは自分を見つめなさい」

クラニオの先生、ローズマリーがいつもいつも伝えてくれること。

施術者として、でなく、人に寄り添う人として。

常に自分を見つめ続けることは、終わりのないプロセスで。頭でわかっていても、行動が伴わない自分に気づいては、ああ…と肩を落としたり、笑うしかなかったり。そんなことを続けていくんだなあ、修練だなあと思います。

元来おせっかいな性格の私は、何かをするつもりで臨むと意気込み過ぎて過剰になったり余計なことまでしてしまいがちなので、意図をもたないクラニオの在り方はとても良い学びになっているのだと思います。(最近では、リフレクソロジーの時も何かを治そうとか良くしようというより、「状態確認」のような気持で施術しています。)

そういう在り方が可能なのだと、そしてそれができない自分であっても、今そこにあることすべてがオッケーなのだと教えてくれたローズマリーには、本当に感謝しかありません。

大切な人たちが必要なプロセスを必要なだけの時間をかけて経験するのを、ただ見守ること。何をどうしようとか変えようとかすることなく、彼らの本質の力を信じて、ともにいること。それができる自分でありたいな、と思います。

とっても難しいけれど!

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色のある世界

Black & White Challengeといって、7日間、説明なしで淡々とモノクロの写真を投稿していくというチャレンジがFacebookでつながっているアメリカの友人界隈で流行っていて、私にもまわってきたので、珍しく参加してみました。

モノクロで、しかも説明なしでとなると、被写体選びとか撮り方も変わるなあと気付いたり、何てことない写真でも白黒になるとちょっとかっこよく見えるなあとか、いろいろ面白かったりもしたのだけど、7日間を終えてみたら投稿する写真もすっかり色付きに戻り、せっかくだからたまにはモノクロにしてみようとかはあまり思わないので、私はやっぱり色のある世界が好きなんだなあとしみじみ思ったのでした。

そしたら、ちょうど昨日行った友達のダンスサークルの公演(すっごくよかった!)のタイトルが、「Life Is Colorful」。

そうそう、色がいっぱいあるのがいいよ。

モノクロのすっきりとした静けさも澄んだ感じもとても惹かれるけれど、うるさいくらいガチャガチャしていても、交わらなくても、人生も世界もいろんな色が混然と存在するのが私にとっては醍醐味なのです。

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岡本太郎さんの絵も、やっぱり色付きが良いね。

マインドフルネスということ

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気がつけばもう一週間前になってしまうけど、慈恵会医科大学で行われた「いのちのケアとスピリチュアリティ」の公開シンポジウムに行ってきた。

アメリカの大学で臨床宗教士教育を教えている教授、禅の実践もされているスウェーデンの病院のチャプレン、スリランカで若者のためのドラッグリハビリセンターを運営している仏教のお坊さん。

様々な臨床の場で仏教の教えに基づく在り方を実践しているパネリストの方々は、話の内容はもちろん、話し方や振る舞い、佇まいが、そのまますごい説得力。

地に足がついていて穏やかで、やさしくて、ひらけていて、客観的だけれど、深い共感がある。そして、本当にそこにいる、という感じ。

マインドフルネスって、そういうことなのかなと思った。

本当にそこにいる、ということ。

何日も瞑想をしたり修行をしてできるようになる人もいれば、日々の営みの中で自然とできている人もいるのだろうし、どちらにしても、それは知ったりわかったりするのではなく、体感して体現していくもの。だから、「マインドフルである」というのは、簡単なことではないのでしょう。

パネリストの一人、スリランカの仏僧のボーダナンダ師が、人に寄り添う時は仏教の「慈・悲・喜・捨」を持っていなさい、という話をされていたのだけれど、質疑応答の時に看護師の方が聞いた「患者さんに接する時に『慈・悲・喜・捨』を持つことが難しい時があるのですが、どうしたらいいですか?」というような内容の質問に対して、「心がけて練習し続ければできるから、とにかくしなさい」みたいに、ある意味とても元も子もない答えを返していたのが、何だか妙に納得してしまった。

ダライ・ラマの本を読んだり、タイで仏教の道をしっかり生きている人たちと話している時にも感じることだけれど、本当にこう生きようと決めてそれを実行している人たちのいうことは、あまりにもシンプルで元も子もないことが多い。生きてくる中で、それしかないとわかってしまった人たちだからなのだと思う。

こうあろうと決めたら、本当に、ただそうである。自分が向いている方向をじっと見つめて、少しでも目指す方からずれていると思ったら、それに気づいて修正する。方法はそれしかなくて、それを何度も何度も繰り返して、いつか少しずつ、目指す方向が自分の在り方になっていくのだろう。

長い道のりだなあ。

そして、それだけ常にきちんと自分を見つめ、自分とともにいることができる人こそが、誰かが必要な時に本当にともにいることもできるのだと思う。

ゆっくりと動いて、呼吸をする。
呼吸を感じる。
「わからない」という状態にただ留まる。

大きな悲しみや苦しみを前にしてどうしたらいいかわからなくなった時に心がけていると、スウェーデンのチャプレンの方が語っていたこと。

尊敬するボディーワークの先生たちも、何度も同じことを伝えてくれる。

呼吸を感じる。からだを感じる。自分の状態を、ただ感じる。

誰かに寄り添いたいと思うなら、まずは、自分から。

何て難しい!と、うんうん言いながら、毎朝や仕事前に何となく瞑想っぽいことをしたり、外に向きがちな目を一生懸命、自分の方に向ける時間を持つことをこつこつ続けていこうと思う。

それにしても、こんなシンポジウムが医科大学で行われる(そしてちゃんと人が集まる!)って、すごく画期的!

私にとって病院はどうしても何となく無機質な感じがして、ただでさえ行くだけでも何となく気が重くなるところなので、こういう取り組みがどんどん増えて、病院が人が人と出会っていることを感じさせる場になっていったらいいなあ、と思う。