人こそ宝

気がつけば、もう大晦日。
毎年毎年思うことだけれど、一年があっという間です。

前回の冬も、タイでローズマリーのクラニオの講座を受講していました。

ローズマリーを日本に招待する話、最初は、いつか呼べたらいいな~、という夢物語のような話だったのが何だかだんだんと妙に現実的になってきて、ある日、「もし日本に来るなら、ああでこうで…」と思いつきで話していた私に、ローズマリーがひと言、

「Are you serious about it?(本気なの?)」

え、まだ場所も何も、具体的なことは何ひとつ目途が立っていないけど…!と、頭は一瞬途方に暮れながら、口が反射的に”Yes!”と答えたのが、今年の1月のこと。

それからずっと、「何をほんとうに求めているの?」「それを実現するにはどうしたらいい?」と、常に問いかけられてきた一年間だった気がします。

迷ったりひいひい言いながら手探りで進んできて、やろうと思っていてできなかったこともたくさんあったけれど、クラニオ講座も何とか形になりそうだし、仕事もいろいろなひろがりを見せてきて、何だかんだで、一年前には考えていなかった場所にいるなあと思います。

そして、一年を一緒に過ごしてくれた人たちへの感謝は毎年尽きないのだけれど、今年は特に、人の有難さをすごく実感した年でした。

施術の仕事を本格的に始める時に、サイトやチラシの制作に力を貸してくれた友人たち。場所を快く提供してくれた恩人の方たち。施術を受けに来てくれたり、口コミで広めてくれた友人たち。時には家に呼んでもらってご飯をご馳走になって、施術しに行ったこっちが元気をもらったり。そして、大切な学びを惜しみなくシェアしてくれた、導いてくれた、尊敬する恩師たち(こちらが勝手に思っている方も含めて!)。

以前に働いていた会社、村式に毎月呼んでいただけることになったのも、私にとっては夢がひとつ叶った、本当に嬉しいことでした。

リフレクソロジーを初めて教える機会も、いただきました。

クラニオ講座の準備も同じように、本当にたくさんの人たちに手伝っていただいています。お金の計算が苦手な私のために予算の表を作成してくれた会計士の友人。素敵なチラシを作ってくれたデザイナーの友人。美味しいごはんを提供してくれるお店の皆さん。いろいろな形で周りに宣伝してくれたり、参加するよと言ってくれたり、マッサージベッドや必要なものを提供してくれる友人、知人たち。

仕事だけでなく、プライベートでも(最近は有り難いことに、公私の境がなくなってきているのだけど)、美味しいものを食べたり、美しいものを見たり、ぶつかったり、ぎくしゃくしたり、いろいろな話をしたり、ふざけ合ったり、たくさんの人たちがたくさんの時間を一緒に過ごしてくれました。その中で少しずつ自分がひらいて大きくなって、歩く道のりも定まってきた気がしています。

私がどんなにぐらぐらしていても思い悩んでいても、いつも変わらずに一緒に笑ってくれた大切な人たちには、どんなに救われたかわかりません。

感謝したい人が数えきれないほどで、アカデミー賞授賞式のスピーチみたいになってます。

でも本当に、人との出会い、つながりがなかったら、いま絶対にここにはいなかっただろうと断言できる一年でした。私の世界は、こんなにやさしさと愛に満ちていたんだなあと、しみじみとあたたかい気持ちになっています。

私は私のやるべきことをやっていくことで、少しでも、それを循環させていけたらと思います。

一年の終わりにと、大好きで尊敬するセラピストさんが送ってくれた曲。

一年を、どんな単位で測ろうか?
愛で測るのは、どうだろう?

愛を単位にして測ったら、私の2017年は結構いい線いっているのではないかしら。

ちなみにこの記事のタイトルは、高校のブラスバンドの恩師に座右の銘を聞いたら書いてくれた一言です。「人こそ宝」、ほんとうにそのとおり!

この一年、出会ってくれた皆さま、一緒に過ごしてくれた皆さま
心から、ありがとうございました!

『AMY エイミー』

エイミー・ワインハウスのドキュメンタリーを見てきた。

この人はこの人生のために生まれてきたんじゃないかというような、業の深さみたいなものをすごく感じた。

人は基本的に、自分の人生を自分で創り出していく力があると信じている。でも同時に、自分の意志ではどうにもならないような抗えない大きな流れがやってくることもあって、そこが本当に生死の分かれ目くらいの正念場になることもあるように思う。

エイミーは、どこかでその流れから抜け出せなくなってしまったんだなあと思った。

痛々しいほど純粋で、無防備な人だった。歌うことをあきらめていたら、彼女はきっともっと長生きできたかもしれない。でも、彼女がどんなに苦しんで自分を傷つけても歌わずにはいられなかったおかげで、その歌声はたくさんの人に力を与えたし、今でも与え続けている。その、「せずにはいられない」という、本人の命を超えたところにはたらいている大きな意志みたいなものが「業」なのかなあという気がするし、私はそういうものを強く持っている人に、いつもすごく惹かれる。

若くてきれいできらきらしていた彼女がだんだん自分を壊していく様子を見るのはつらかったけれど、大きな画面で彼女の歌を聴くことができたのはとても嬉しかった。

エイミー、歌を遺していってくれてありがとう。

生まれ変わってきたら、また歌ってね。

We’re All Water

東京都現代美術館でやっているオノヨーコさんの展示、「私の窓から」を見てきた。

最後の方に展示されている”We’re All Water”という作品がある。

ずらっと並んだお椀に水が入っていて、それぞれに歴史上の人物や芸術家、政治家などの有名な名前のラベルがつけてある。彼女の歌っている同名の曲をヘッドフォンで聴きながら、ひとつひとつの名前を見ていたら、涙が出てきた。

私たちはみんな結局は同じ水で、違う容れ物に入っているだけ。

そういう考え方は、スピリチュアルな本なんかを読むとよく書いてあるし、それ自体は今の時代にはそんなに目新しくないのかもしれない。でも、それをこれだけシンプルに明確に、感覚にずっしりと響く形で訴えて伝えることのできる人は、なかなかいないと思う。

そして、彼女はそれを何十年も前からずーっとやってきた。全然ぶれていないのだ。

とても感動して家に帰って、その翌日、パリでテロが起きた。

ああ、と思った。オノヨーコさんのメッセージがぶれないのは、世界が、私たちが、彼女の伝えようとし続けていることを学んでいないからなんだなあ、と。

愛と希望に満ちた平和な世界は可能だと、彼女は一貫して訴え続けている。でも、世界はまだお互いを否定したり、責めたり、攻撃したりするエネルギーにあふれている。国や宗教の間だけじゃなく、個人の間でも。というより、私たち個人のひとりひとりが、誰かを責めたり否定したりすることをやめることができれば、きっと世界は変わるはずなのだ。だから、それはものすごく難しいのだ。

それでも、オノヨーコさんは諦めずにメッセージを発し続ける。彼女の見ている世界が本当はそこにあるのだということを、伝え続けてくれる。

道のりは果てしなく遠いけれど、せめて、何かをする時や言葉を発する時にはなるべく愛と希望を忘れないように、気持ちいい状態でいられるようにできたらいいなあと思う。

We’re all water from different rivers
That’s why it’s so easy to meet
We’re all water in this vast, vast ocean
Someday we’ll evaporate together

私たちはみんな 違う川を流れる水
だから出会うのもとても簡単
私たちはみんな この大きな大きな海の水
いつか蒸発する時は みんな一緒

Funeral songs

友達と、自分のお葬式で流したい曲の話になった。

私が昔から周りに「私のお葬式ではこれを流してね!」と言っていたのは、Liza Minelliの”Cabaret”だった。

人生はキャバレーなのよ
ワインを飲んで、音楽を聴いて
楽しまなくてどうするの!

そういう明るい感じは今でもすごく好きなのだけど、最近ではすこし刹那的過ぎるかなーという気もしていて、もっと他に流したい曲はないか考えてみた。で、その場で思いついたのが、Nina Simoneの”Feeling Good”だった。

自由で、力強くて、気持ちいい。これは、絶対流したい!

でも、ほかにも何かあった気がするんだなーと考えていて、さっき思い出した。

これだー!

Louis Armstrongの”What a Wonderful World”。

この歌の歌詞はどこも好きなのだけど、その中でも大好きなのが、後半の二節。

The colors of the rainbow, so pretty in the sky,
Are also on the faces of people going by.
I see friends shaking hands, sayin’, “How do you do?”
They’re really sayin’, “I love you.”

I hear babies cryin’. I watch them grow.
They’ll learn much more than I’ll ever know
And I think to myself
What a wonderful world

虹の色がうつくしく 空に映えて
ゆき過ぎる人々の顔も 照らしている
友人同士が握手して 「ごきげんよう」という時
ほんとうは 「愛してる」っていってるんだ

赤ん坊の泣く声が 聞こえる
成長していく彼らを 私は眺める
私がこの先の人生で知るより もっと多くのことを
彼らは学ぶだろう
そして 私は思う
世界は なんて素晴らしい

ここのところを聞くたびに、ちょっと泣きそうになる。

自分がいてもいなくても、世界は美しく、人々は愛を交し合い、子どもたちは多くを学びながらすくすくと育っていく。

愛と希望がいっぱい詰まっている、本当に美しい歌詞だと思う。

そして、自分の選曲を顧みて、私はパーッと明るく死にたいんだなーと思った。「いやー、いい人生だった!楽しかった!ワハハ!」とか言いながら、割と豪快な感じで死にたいのかもしれない。多分、根本的にそういう性質なのだと思う。

友達が選んだ曲はもっときれいで細やかでやさしい感じの曲で、それもすごく納得したので、こういう質問ってその人の心の本質が出るんだなあとしみじみ思った。

いろんな人に聞いてみたら、おもしろいかも。