いろんなところでも書いているけれど、最近、ほんとうにしみじみと実感しているのが、すべては自分だということだ。
自分が自分をどう見ているか、自分が世界をどう見ているか。自分の内にあるものが、世界を創り、自分を創っている。外側に表れているのは結果でしかなくて、私たちにできるのは、その結果を見つめ、何が起こっているのかを知り、自分の内のあり方を調整し続けること。
ただほんとうにそういう仕組みがあるというだけ、今ここにいる自分は自分がそれまでしてきた選択でここにいるというだけで、それがいいのでも悪いのでもない。いま望む場所にいなかったとしても、間違ったわけでもない。すべて自分のせいだとか、そういう話でもない。気づいたら、それまでの選択をしてきた自分を、そうなんだなあと受け入れて、意識と行動を変えるだけ。
いろいろな人が語ってきたことで、まったく目新しくはないのだけれど、これだけずっと多くの人が形を変えて語ってきたということは、それだけ本当に実行するのが難しいということなのだと思う。
外側に見えていることから、何が起こっているんだろう?と、自分の内に問いかける。
それを繰り返していく。
からだの状態も、周りの人との関係も、世界で起きていることも、みんなそう。
そこで得た答えから、調整を続けていくだけ。
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と、そんな話から(?)、ここしばらく、久しぶりに文章を書く仕事をいただいたり、同じ日に初めて施術を受けに来てくださった方が二人とも出版関係の方だったり、全然違うところから「文章は午前中に書くのがいい」という話を教えてもらったり、「何か書いた方がいいよ」と、これまた違う方に言ってもらったりと、書くことへの流れが起こっている(というか、自分の意識が書くことに向かっている)のだなあという感じがする。
書くことは子どもの頃から好きで、好きが高じて大学院で専攻してしまうほどで、卒業する20代後半くらいまでの間にこれでもかというほど書いていたのだけれど、そのあとから何だか枯渇してしまって、まとまって文章を書くということがなかった。
それまでの人生で経験してきたことの量や濃さも、世界をとらえるための自分の器も、書き続けるには全然足りなくなっていたのだと思う。
それから、だんだんとからだの方に興味がシフトしていって、どんどんそちらを追及していったら、また書く方にも意識が戻ってきたような感じ。螺旋を描いているみたい。書くことは頭でやること、ボディーワークはからだのことだから、対極だと最初は思っていたけれど、本当はつながっているのだということがよくわかる。からだとつながるほど、出る言葉にも無理がなくなっていく。頭だけを必死に働かせて書いていた頃よりも、気持ちがいいし、迷いがない。
何をやるにも、結局そうなのだろうなあ。
頭だけじゃなくて、からだも使うのが、一番いい。
と、書くことにまた久しぶりに意識が向いてきたので、忘れないうちにここに書いてみました。SNSに載せるような、交流を目的にしたものとはまた違う感じで、時々書いていこう。